風土論の視点から日本の家族構造について検討

1.はじめに

環境、とりわけ自然環境について研究する学科はいわゆる地理学である。その中には色々な問題を検討している。人間と環境の相互関係について探究する地理学において、環境がどうやって人間に影響を与えているのだろうか、人間自体はどうその環境の影響を受け止めているのだろうか、という諸問題は、人間と環境との根源的な関係について探求することである。

日本ではそういう人間の主観と客観的な環境との「主客二元論」に基づいて研究は、既に1920年代末に、現象学的な観点からの人間環境論が、哲学者和辻哲郎によって展開された。和辻は,解釈学的現象学者マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』の影響のもとで、いわば「存在と空間」につの考察を講義の草案として著し、それを『風土』にまとめた。

和辻は「風土」を「ここに風土と呼ぶのは土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称である。古くは水土ともいわれている。」和辻のいう風土とは自然と人間とが渾然一体化した状況の自然のことであった。こういう内容は空間もまた根源的に重要であることを主張した説だとは言ってもいい。

イマヌエル・カントによれば、人間の認識は表象を受け取る能力(感性)とこれらの表象によって対象を認識する能力(悟性)という心意識の二つの源から生じ、空間と時間は「感性の二つの純粋形式」である。すなわち,空間・時間は人間の認識が成立するための主観的条件(直観)であり,われわれは空間・時間という認識の枠を通して世界を見ている。つまり、空間と時間という見方は人間自体の視点から環境を認識している一つのポイントである。

和辻は、風土を「社会の,空間と自然に対する関係」と定義し、日本と西欧における「人間―環境」関係の存在論的な把握を目指している。実存主義の視点から見ると、「個人の肉体が単なる物体ではなく、他者や物との行為的な連関の主体的な表現である。」その関係について、環境と人類の集団と人という3つの項を分けて環境において人類の集団そのものの姿を見るという研究を行っている。そのために、最も基本的な「人類の集団」いわば家族集団を検討を行う必要がある。

和辻によれば、自然の観念その家族の風土性ものが、人間の集団による環境へのはたらきかけから生み出される。また、自然の観念も家族共同体の在り方から発生してきたことが推測される。自然と神はどちらも、家族による伝統的な農牧業を通じて見出されてきたと考えられるのである。

本稿では、各国の家族構造の特徴をまとめて、農牧業の発祥の視点から家族の発展を検討する、そこで伝統的な家族型による父性偏向的な家族と母性偏向的な家族を分類され、日本の家族構造は主にどんな家族だかという問題を指摘するつもりだ。

2.家族構造の分類について検討

家族構造については,文化人類学において世界各地の諸民族についての調査が蓄積されている。たとえば、ゴールドシュミットとクンケルは民族学の資料集成である Human Relations Area Files(HRAF)を利用して46の農耕社会の家族構造を分析し、相続制度も考慮してそれらを三つの型に分類した。

1.父方一括相続を伴う父方居住の直系家族であり,日本,韓国・朝鮮,北西ヨーロッパに分布する。

2.父系分割相続を伴う父方居住複合家族で,中国,南アジア,中近東,東部・中部ヨーロッパに分布する。

3.双系分割相続を特徴とする新居住核家族であり,地中海ヨーロッパ,ラテンアメリカ,アフロアメリカ,スリランカ,東南アジアにみられる。

ほぼすべての人類は子として生まれ、その両親の存在と価値としている認識は無意識化され、内面化されたことが事実である。そのため、環境が家族の価値観を影響している最も重要な条件になっていた。

一方、フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは、社会学者フレデリックによる「自由」と「平等」の理念に着目した家族の類型化に基づいて、世界各地の伝統的な農民の家族制度を類型化し、その家族構造からどのような物事の見方や価値観が産出されるかを論じた上で、近現代のイデオロギーの発生や受容と家族型との密接な関係を明らかにした。「自由」とは、父親と息子の関係によって定義され、息子が結婚により家を出て独立の家庭を築くことを意味する。それに対して,自由の否定とは、父親の権威のもとで息子が結婚後も親と同居することを意味する。「平等」とは、相続における兄弟間の関係によって定義され、親の財産が分割されることを意味し、不平等とは、ひとりの息子のみに財産が相続されることを意味する。阿部一はそういう「自由」と「平等」を基準として、「絶対核家族」、「平等主義核家族」、「権威主義家族(直系家族)」と「共同体家族」を四つ分類された。

これらの家族型を,環境と単純に結びつけることはできない。その家族型は時間の流れと共に変わってきている。その最初の家族構造はどの家族型に属するかという問題を解決しなければならない。なぜなら、何世代にもわたってこの土地に住んでいる人々が営みを求めるという慣習は、風土が影響をもたらすことだから、遡る必要がある。和辻によると、日本は急峻な山地及びそれらに挟まれた谷からなる地形と、降水量の多い気候の組み合わせからなる、すなわちモンスーンタイプの自然環境である。日本人は自然条件を積極的に改造するよりは、与えられた自然条件に栽培技術を適応させることによって稲作が展開されてきた。このような農業においては,夫婦の協働により,家族単位で生計を維持していくことができ,大人数の家族集団は必要とされない。それも核家族と呼ばれている。

夫婦協働型の核家族では,「母親中心性」が強まる。母の重要な仕事は授乳に始まる育児であり、ほかに子の面倒をみるものがいないため、母子の心理的な密着度は高いものとなる。子どもが農作業を手伝えるほど大きくなっても、家の周辺での農作業が基本であるため、母子の一体性は維持される。家の生業のために,父親がその関係に介入する必要性はないので、日本では最初から「絶対核家族」とともに母性偏向的な家族である。

3.日本の家族構造と風土の繋がり

先に述べた日本の家族構造は母性的な家族である事実は、家族共同体の在り方の視点について説明した。しかし、風土との関係は、もう一つの人間自体の価値観と切り離せない。その表現は、最初は自然に対する態度で、自然現象に対する崇拝でした宗教である。一方、モンスーンタイプでは,環境に信頼を寄せることができる。モンスーンが山にぶつかってもたらす雨は豊富に水を供給し,その水が集まる川は安定して流れくだる。そういうタイプの環境は必要な営みはすべて取れるとは言えないが、基本的な条件は非常に豊かです。そこでの環境と人間の関係は,母親が乳児に空腹の時にはミルクを,寒い時には暖かさを与えてくれるのと同様であり,環境は人間にとって母なるものとして立ち現れている。したがって、日本人は自然に対して命令・統御するような父性的な価値観ではなく、自然のはたらきを調和・順行させる母性的な価値観となっている。その同時に、母親の役割を自然から人間関係を関与する。

「母―子」の心理的な密着関係がみられるようになると、そのつながりの深さから、娘が結婚後も親族集団の中に留まることが忌避されず、近親婚の規制は緩くなる。また、娘のもとに男が通う妻問い婚もみられる。現代社会の日本の家族構造は、この現象も一層続いている。

4.おわりに

自然はどちらにおいても自己生成という観念が基本であるが、モンスーンタイプの「母性的包含性」の風土においては、人間は母なる自然に包含されており、人間は自然の一部である。日本の家族はそれを深く影響を受け止め、自分の特徴を形成した。現代社会の日本家庭は、最初の「核家族」型に戻るトレンドを見込んでいる。こういう現象を検討する際には,この風土的関係性を無視することはできない。近代化の進展により、農牧業経営体の責任者としての家長の権威と農地などの相続の重要性が失われたため、家族構造は絶対核家族的なものになる傾向がある。

しかし、風土論は自分の不足点もある。和辻は資料を提供した地元の人に対して、自分が提供した根拠について検証的な批判を求めていなかった。その結果は一方的である。人間の能動性は考えられなかったので、多くの学者は風土論を環境決定論と見なす批判している。それに加えて、風土論が互いにインタラクティブモード及び社会構成の意義あるシステムを社会組織の中のより大きな階級と結びつけることができなかった。つまり、すべての人間の行為は決定的な構造(Determining Structure)の中にあり、この構造は日常の意識から既成的に得られるものではなく、築き上げたものだけである。したがって、風土論の観点からの見直しが必要であると考えられる。

5.参考文献

和辻哲郎(1979)『風土――人間学的考察』(岩波文庫),岩波書店。

岩井拓朗(2013)「『純粋理性批判』における感覚と対象」『東京大学大学院人文社会系研究科・文学部哲学研究室論集 』(32), 160-173。

山口幸男(2007)「人間及び人間社会の存在の風土性・空間性に関する地理教育論的考察:和辻哲郎の風土論を基に」『新地理:日本地理教育學會會誌』54(4), 34-42。

阿部一(2010)「環境の見かたと家族構造」『東洋学園大学紀要』第18号:175-191。

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